七代六兵衛のお茶碗は、存在感のある穴と、切り折りされたような現代的な造形が特徴であり、剛と柔が同居する美しさが感じられます。
今回は、そんな七代目六兵衛の窯元である清水六兵衛窯を訪問させていただきました。
京都で作られる焼き物は大きく2つに分けられ、茶湯の流行を背景に、江戸時代初期ごろから東山地域を中心に広まった焼き物を「京焼」、清水寺の参道である五条坂で作られていた焼き物を「清水焼」と呼びます。清水六兵衛窯は、江戸後期(1771年)に初代清水六兵衞が京都・五条坂に開窯した、250年以上の歴史を持つ京焼の名窯です。初代が師から授かった「きよ水」の印にちなみ、「清水」姓を名乗り、以来、代々続く当主たちがそれぞれの個性を生かし、それぞれが新しい表現に挑戦し続けてきました。
七代目である清水六兵衛は、「六兵衛」と「九兵衛」彫刻と陶芸の二つの領域で活躍し「六兵衛」と「九兵衛」と二つの名前を持ちました。清水六兵衛は、1922年に名古屋に生まれ、名古屋高等工業学校建築科を繰り上げで卒業後、招集され沖縄での戦いに赴きます。復員後、東京藝術大学で学び、1951年に京焼を代表する名家である六代清水六兵衞の養嗣子となり陶芸の道に進みました。しかし陶芸家としての評価を得る中で、「もの」と周囲の空間に対する関心が深まり、1966年に初めて彫刻作品を発表。その後「九兵衞」を名乗り、陶芸制作から離れ、主にアルミニウムを用いた彫刻家として活動を始めました。その作品、構造と素材、空間などとの親和性が表現されており、彫刻作品は日本各地に設置されています。
「陶芸家」七代六兵衞としての作品は、土という素材の性質や焼成によるゆがみを生かしており、彫刻作品にみられる大胆さが感じられます。彫刻家としても活躍したことから、一つの分野にとらわれず制作を行なっていました。
100年前に活躍した陶芸家の作品からは、「陶芸」「彫刻」両者に対するリスペクト、そして、その二つを行き来し枠組みを突破する自由が感じられます。