竹村京のアトリエは群馬県にある。
天井の高いアトリエにはさまざまな色の絹糸が所々に置いてある
アトリエにお邪魔すると何やらたくさんの食器や器が入った棚から、
素敵なカップを用意しお茶を淹れてくれる。
「蚕に生かされているんじゃないかって私そう思うんです」
そう言う彼女は導かれるように養蚕が行われている群馬の地にアトリエを構えることになった
卵が置かれた瞬間から蚕の人生は決まっている
蚕として体の一部のタンパク質を糸に変えて、糸を出し続けて死ぬ
数えきれない数の蚕が命を削って生み出した絹糸を纏った作品は、まるでそれ自体が鎮魂だ
竹村京は、そんな絹糸を用いて作品を制作している。
絹糸を使って縫われた竹村京の作品は、どれも玉止めされていない、片方から引っ張れば抜けてしまう。始まりも終わりもないまま、作品はピリオドを打たずに漂っている。
壊れてしまった誰かの大切なものを半透明な布で包み、壊れた部分を絹糸で縫い修復するという「修復シリーズ」。壊された瞬間、壊れた瞬間をとりあえずとっておく、捨てることも無視することも簡単だ。その傷に絹糸で光を与えることは、その記憶・思い出をも留めおくかのようだ。
私たち人間も含め、全てのものは生まれては壊れゆく、そんな中でもいろんなものを愛して、失いながら進んでいく、そんな慈悲深くも無慈悲でもある時間の流れで、壊れたものを修復し絹糸で光を与え「仮に」でもとどめておく。それは祈りなのか、未練なのか、愛なのか、いずれにしろ、そこにはどうしようもない美しさがある。
一定の幅で絹糸を布に縫い続ける「タイムカウンター」では、たしかに私たちが生きてきた時間を、生きていた事実が時間として縫い付けられている。さまざまな思い出と共に、私たちは生きてきたとしても、これまでもこれからもずっと永遠の今だ。
月を指す手は月でないように、時間というものを言葉で表現することは難しい、
それは言葉で掴もうとした途端に実感としての真実味を欠いて、言葉(記号)になってばらばらと目の前に落ちてしまう。そんな捉えどころのない時間というものを体現しているアーティストだ。