和多利浩一
1960年生まれ、早稲田大学社会学部卒業。90年よりワタリウム美術館キュレーターを務め、92年には国際現代美術展ドクメンタ9に日本人として初めて携わる。95年ヨハネスブルグビエンナーレ日本代表コミッショナー。また「原宿・神宮前まちづくり協議会」を発足させるなど、広くアートを通して活動を行っている。Reborn Arts Festivalのキュレーターも務める。
和多利有
1994年生まれ、NYにて美術史を専攻し帰国。帰国後は茶道宗偏流不審庵にて務めつつ、現代美術と日本の伝統文化である茶道をつなげる活動として、2022年京都の天龍寺にてオノヨーコやダライラマの作品を茶室にしつらえた「平和」をテーマとしたお茶会を開く。現代美術にとらわれず、茶道やその他の日本の歴史文化についても発表の機会を画策中。

父娘の対話 III. オノ・ヨーコとワタリウムのこれから

古いとか新しいっていうのは、そんなに大事じゃない。
ハラルド・ゼーマン : 20世紀を代表するスイスのキュレーターであり、革新的な展覧会構成と独自の展示手法で現代美術界に重要な影響を与えた。
オノ・ヨーコ : 日本のマルチメディアアーティストであり、シンガーソングライター、平和活動家であり、前衛的でコンセプチュアルな作品やジョン・レノンとのコラボレーションで広く知られる。
有さん:私の中で伊東忠太とか明治の人たちの展覧会やったっていう印象が小さい頃から強くて。やっぱり古いものにどんどんそういう意味では興味がいっていて、かつ、母の実家が茶道っていうこともあって、私は今そっちの道に進んでいるじゃない。それで、家元から現代アートを使ってお茶会やってみようよって提案いただいた時に使ったのが、今、目の前にあるオノ・ヨーコの作品じゃない。まず、どうしてオノ・ヨーコの作品ががあるのか聞きたい。
浩一さん:オノヨーコはね、ナム・ジュン・パイクさんと仲良かったんですよ。オノヨーコもパイクさんもフルクサスのアーティストの1人として入ってる。そういう意味では、オノヨーコを知ったのもパイクさん経由。パイクさん、オノヨーコ、うちの母がいて、オノヨーコがここに来た時とか、母に帝国ホテル行くわよって言われて行って、朝ごはん食べに行ったりした。
有さん:すごいじゃん。パーソナルな関係もあったんだ。
浩一さん:そんなに濃くはないけど、 ないなくはないっていう。それでうちは1点だけ持ってる。
有さん:お茶会のテーマが「平和」だったから、どういう作品を出そうか悩んでいて。作品リスト見てた時に、 オノヨーコはわかりやすいよなとも思ったけど、ポピュラーすぎるかなとも思ってた。パパとか悦子さんに相談した時に、オノヨーコがいいんじゃないって最初に言ってたけど、それはどうして?
浩一さん:これは本当に今の作品だと思う。全て真っ白にしてあるから敵も見方もわからないっていう状況。どんな風にチェスが動いても、 どっちが負けてるかもわからない。**戦うことは無駄っていうのを言ってる作品だから。
有さん:私はそれをお茶会で使った時に、戦争って意味もあるけど、もう1つの意味もあったんだよね。現代と古典ってすごく壁があって、お互いに戦い合ってるじゃないけど、ディスり合ってる感じ。現代の人は、古典は古典で古臭いってなっていて、古典の人たちは、現代に対して何やってるかよくわかんないから、 私は関わりたくないみたいな感じ。お互いが、あんまりいい関係性じゃないなっていうのを思っていて。私が現代と古典のハイブリッドっていう目線で、戦わないで平和にやろうよっていうのをメッセージとして込めてみたんだ。
浩一さん:僕らにとっては、現代アートをそんなに敵視してるつもりは全くなくて。時代に新しい何かを生み出した人、提案した人は僕らにとっては現代アーティストとして同じ。だからこそ、やっぱリスペクトするし、作品を見たいっていうのもある。でも、権威主義になってしまう。 権威になって、権威主義になって、それをリピートしてくような感じになっちゃうと、どうしても戦いたくなっちゃう。そういうことはあるけど、古いとか新しいっていうのは、そんなに大事じゃない。
有さん:そういうパパの遺跡も好きだったり、神社が好きだったり、古墳が好きだったり、昔のもの好きな部分。その影響も受けつつ、そっちの道に自分も行ってるのかな。
浩一さん:まあ、やっぱり1番重要なのは、提案してること。「これは、やっぱりこういう考え方がいいんじゃないですか」って提案すること。やっぱそれに携わってほしいなって思うんだよね。それは、作る側なのか、プレゼンする側なのか、 コレクションする側なのかはどれでもいいけど。それに自分が面白いと思うものをちゃんと人に伝えられるようなところにはいてほしいなとは思う。それは新しくても古くてもどちらでも。
有さん:今ちょっと未来の話をしたけども。 今、もう美術館の仕事を何十年やってきて、もう60超えてるじゃない。自分自身もそうだけど、どうしていくのがいいと思う?
浩一さん:2つあって。1つは、次世代に僕と母と姉でやってきたものを誰にバトンを渡せるかっていうのをそろそろ決めなきゃいけない。 渡さないんだったら、渡さない方法があるし。これから10年とか、15年、20年でやってかなきゃいけないこと。もう1つ最近思ているのは、やっぱり 国内でできることはもう大体やっちゃったかなっていうのがあるので、どうやって日本と海外をつなぐのかっていうのをリサーチしてる。
有さん:日本と海外っていうのは美術館としての話し?
浩一さん:じゃなくてね。ちょっと長い話になっちゃうけど、80年代はアーティストの時代だったんだよ。ウォーホールがいて、ボイスがいて、キースがいて。アーティスト中心が80年代。90年代はキュレーター。そこでうちはハロルド・ゼーマンとかキュレーター達を呼んだわけね。ハロードゼーマンからは理論みたいなものを学んで。彼がいなかったら、僕ら歴史的なことはやっていない。
2000年代になってきた時に、それが今度はビエンナーレとかトリエンナールとかフェスティバルになってくる。2010年代になったら、今度はオークションとかそういう時代に流れてきている。
そんな時代の流れの中で、20代〜40代ぐらいの有望なおかしいアーティストが出てきた時に、 今までの海外に持っていく時の方法ってギャラリーが持っていくのがほとんどだった。でも、そうじゃない第三の道っていうのがあるんじゃないかっていう風にちょっと思い始めてる。その方法を次の10年とかで探っていかないといけないんじゃないかな。コマーシャルじゃない違ったルートでのものの置き方っていうのができるかどうかっていうのは僕らとしての仕事だなと思う。
有さん:私自身も今後どうなるかは正直わからないし、自分が継ぐのかと聞かれたら、まだそこはイエスとは言い切れない部分がある。4人いる子供たちがある程度大きくなって、みんな20歳超えたけど、どうなってほしい?関わってほしい?
浩一さん:それは、申し訳ない。アートの話しとは全然別にして。なんて言うのかな、考えないようにしてる。考えて、こうしてほしいと思うと子供は必ず違うところに行くから。展覧会もそうだけど、方向性を決めちゃうとこの方向に行きたいと思っても違うとこ行っちゃうから、枠だけは出ないように自然にすること。その枠が5度ぐらいの角度だと窮屈だよね。それが90度ぐらいあれば、まぁいいじゃない。この中の範囲でやってくれればいいよみたいなところがあるから。そういうぐらいじゃないとダメで、あんまり望みすぎるといいことにならないので、ゆるくやる。
有さん:ありがたいですね。自由にしてくれる和田利家の方針です。
浩一さん:でも、それはあくまで方法であって。テクニックとかマネジメントに関しては、やっぱすごい厳しいと思う。アートっていうのは やっぱ大きいお金が動くので、違った意味で厳しさが待ってると思うよ。