オーストリアの詩人ライナー・マリア・リルケは、「若き詩人への手紙」の中で作品との向き合い方について、引用のように言葉を残している。リルケはこの本の中で、若き詩人との対話を通して自分の内面を掘り下げること、その孤独について説いた。
作品を通して自分の内面を向き合うとはどういうことか、それは作品を見たときに体験として自分の内面に湧き上がるものを大切にすること、それを見つめることだ。
日常生活の中で私たちの意識は外に向けられている。 目まぐるしく移り変わる外の世界に忙しくて、なかなか自分の内側にざわめくものに耳を傾けることは難しいかもしれない。
作品を見たときに、それを情報として頭で理解すると言うより、作品と自身の化学反応、その体験そのものの豊かさを感じること。
作品を前にして自分の中に湧き起こる断片的な感覚や思考はそのままに、分析せずに感じること、自分に問い続けること。
作品を通した孤独の中で、自分の内面を見つめ続けること自分しかいない其処は、相対でなく絶対だ。
絶対だからこそ、正解も終わりもない。
答えのないものを問い続けること、自分の内側に広がる不条理で不可解で美しいものを愛すること、リルケの言うように作品はその孤独を通して、私たちにその機会を与えてくれるのかもしれない。
それは薄暗い森みたいで、何を見ていいのか、どちらに向かっていいのか、怖気付いてしまうかもしれない、けれど、一旦自分自身が自身の感性という”灯火”を持っていることに気づき、自分の感じること考えることに耳を傾け信じることが出来たなら、もう怖いことも、混乱することもないはずだ。
なぜなら、その薄暗い森は、作品を通した自分自身であり、自身の持つ感性に気づいたあなたは終わりのないその森を、そしてそこで迷うことを楽しむことができるから。少しでも楽しむ心持ちが出来たなら、その森はきっと前とは違って、迷うに値する美しさを見せてくれるはずだ。